電動マジックハンド、優しさの定義とは

前から電動車いすにつけられる電動のマジックハンドみたいなものを妄想していたのだが、それを市販品としてほぼ実現しているものを見つけた。F3で使っているマイクロスイッチのメーカーサイトを見ていた時のことで、結構前の話ではある。
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ペルモビールにつけている写真も見たことがあるのでおそらく汎用品。操作系がわからないがコップで水を飲んでいる写真もある。顔の表情などで操れるインターフェイスも使えるようだ。

この製品ではなくてマジックハンドでもないけど、かなり高速で家事や料理をこなすロボットの動画を見たことがある。日本製で、それの新しいところは動きをプログラミングではなくて、人間の動作を真似させて覚えさせるというところだ。僕の見た動画を探したのだが見つからなくて残念。

卵を割って、目玉焼きを焼いて、それをフライパンから皿に移して、皿を下げたらシンクに入れるというところまでやっていた。あとは洗濯した服を畳むとか。今までもそういうロボットやアームは紹介されていたけど、ああいった辿々しさや、力が強すぎるんじゃないか? という加減の問題もなく、かなりスムーズで、実用まで少しだなという印象を受けた。

僕はまだ電動のマジックハンドは必要ないけれど、それでも机の手の届かないものを取るのはしんどいし、右手は拘縮してしまっているから、使えるのはほぼ左手だけである。でもこういうものがあると思えば、気持ちも明るくなるじゃないですか。

まったく話は変わる。
妻となにか優しさの話をしていて、「あなたは人に対して冷たい」と妻がいう。あなたが人に優しくしているのを見たことがない。

自分の冷たさは自覚しているのでべつになにを思うわけではないが、そこまでかなあ? と思いかけていると、「家族以外には。」とつけ足される。

承諾しかねる顔をしていたのかもしれない。
「親切さは優しいのとは違う」と妻はいう。続けて、「優しさと親切さの定義は?」

まるで木城ゆきとの「銃夢」みたいである。
「もう飲んでるからわからないよ」と、僕は逃げる。

他人にあまり興味を抱いていない、というきらいは確かにあるけど、僕の場合は二十代までの反動じゃないかと思う。人とちょうど良い距離を取るということがうまくできなかった。

娘が社員として家業に入ってくれているが、独立してマンションに住んでいるので土日は通ってこない。妻が出張している中での金曜日、娘が帰った後を見ると、例えばごみを集めておく箱が車いすでも手が届くように、ちょっと手前に引っ張られている。

訪問フットケアが明日くるというと、フロアに掃除機をかけ、玄関に客人用のスリッパが揃えて置かれている。
いまちょっと思いつかないが、どれもやりすぎないような、鈍感な人間ならそのことに気がつきもしないような優しさである。彼女は至ってクールなリアリストで、仕事では取引先からも評価をいただく敏腕だ。

しかし一見わからないが、豊かな内面と、繊細な優しさを持っている。母親譲りの。

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