検挙される(ように見える)。橋の上から景色が見えた。

やたら物々しく見えるのだが、都内某駅で階段介助をしていただいているシーン。
エレベーターが工事ということなのであらかじめ駅に連絡したら、職員が階段で持ち上げるので大丈夫とのこと。いえ、と僕。人が持ち上げられる重さじゃないんです。私は降りるにしても130キロはあって──。その後こういうことになった。8人がかりだ。

駅での介助でいやな思いをしたことがない。しかしそれは先輩方のとても長い「戦い」があって醸成されたものであることはよく存じ上げております。

母親が駅の改札で泣きながら抗議をしていたのを憶えている。僕の乗ったベビーカーを畳まないと電車には乗せられないと駅員がいうのだ。歩けない、立てないからベビーカーを使っているのに、畳まないと乗せないというのはどういうことですか。車いすとおんなじですよ。しかも地方の昼間でこんなにすいているというのに。

僕は、このベビーカーが好きではなかった。乳幼児用のものに乗っているのだ。手も足もはみ出ていて、尻は重くて沈んでしまっていた。小学校の低学年だった。母親の戦いを見ながら力もなく、ぼんやり世の中の不条理を感じていたのかもしれない。

他にもよく見た駅のエレベーター設置へのデモや座りこみ、署名活動など、今では忘れられているのかもしれないけど、まだバリアフリーという言葉もなかったときに、僕たちの上の世代はそうやって戦っていたのだ。考えると涙が出る。

さて、唐突だが次の話題。
ペルモビール・F3にシートの昇降機能がほしいと思ったのは、ひとつにはスーパーマーケットで上の棚に手が届かないこと、それから僕も橋の欄干ビューを楽しみたいということ。

橋の欄干ビューとはなにか? 橋には手すりがついている。あれが欄干。多くの人はそこに手を置いて川を眺めたこともあると思うけど、車いすだとあの手すりの高さがちょうど視線にあって、ほぼ景色が見えない。そんなことくらいと思うかもしれないが、それはインフラを享受できる立場でいるから、かもしれない。とにかく川好きとしてはそれがいつも欲求不満なのである。チェアウォーカーは皆そうではないだろうか。

これはフェリーとかに乗っても同じ。人がそこから転落しないように柵を作ろうとすると、手すりはどうしてもその高さになるようだ。マンションやホテルのベランダもそう。だからガラスのフィックスな透明の窓が僕は好きだ。景色を邪魔するものがない。

ということで、F3のシートは走行に支障のない範囲でちょっと高くしている。そうすると見晴らしというか、橋の欄干関係なく眺望が全然違う。いつもの知っている道を走っているのでも「あれ? ここってこんな感じだったかな」と思うくらい違う。

電動車いすに乗っていると、道路に開いた穴やちょっとした段差が危ないので、だいたいは路面を注視しながら運転をすることが多い。普通に前を見ながら行くと危険である。目線の高さは児童くらい。つまり視野がかなり狭い。路面を注視しながらというのはシートを高くしても変わらないけど、たかが5〜10センチで印象はかなり変わる。

F3でスーパーマーケットに行ったときにちょっと驚いたのは、ストレスを感じないということだ。というより、今までストレスがかかっていたということにはじめて気がついた。考えてみると、人混みでむやみにいらいらしていたかもしれない。普通の車いすの高さだと、見えるのはちょうど人の腰あたりだ。混んで囲まれている時などは結構な圧迫で、もし後ろにいる人がしゃべると、頭の上で何かをしゃべられている状態になる。F3ではそれがない。

何度か欄干ビューを楽しんだ。川がきれいだ。加えて普段の気分がいい。尊厳のためにも、シートの昇降機能をおすすめしたい。

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